だるろぐ

明日できることは、今日しない。

Twitter で2011年3月11日のことを振り返る

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酢酸先生が面白いことをやっていたので、自分もやってみた。

ちなみに、期間を限定したツイートの検索は、

from:daruyanagi since:2011-03-11 until:2011-03-12

みたいなクエリで行えるのだそうな(https://twitter.com/search?q=from%3Adaruyanagi%20since%3A2011-03-11%20until%3A2011-03-12&src=typd)。タイムゾーン周りがアレで、検索結果ではツイートの時刻がズレて見えるけど気にしない。

地震発生まで

直前は仕事中にこんな記事を読んで遊んでいたらしい。そのあと地震があって、TV の前にみんな集まって「なんじゃこりゃ……」みたいな状態になっていた記憶がある。

避難&帰宅

東郷元帥記念公園まで避難。このときも余震がすごかった気がする。

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フジテレビの方が燃えてるみたいなツイートに反応しているけど、それ以外は無事の連絡確認ぐらい。

1時間待機後、帰宅命令。正直さっさと決めろと思っていたけれど、緊急時のルーチンがあったみたいだから従うべきだろう。

4分後には歩いて帰る決断をしている。今まであんまり自覚していなかったけど、さっさと覚悟を決めてしまうタイプらしい。もしかしたらすでに Twitter で総武線が止まっているという情報を得ていたのかもしれない。

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ちなみに、このころ住んでいたのは小岩。じつは住むところを選ぶときに「電車で30分ぐらいのところ≒イザとなれば現実的な時間で歩いて帰れる圏内」というのを一つの基準にしていたのが功を奏した。別にこういう事態を予想していたわけではないが……。

ただし、交通インフラ以外は割りと楽観視していたみたいで、帰りにアキバによって遊ぶ or 買い物をするつもりだったらしい。

依然、この程度の認識。津波のあとは火災が怖いんだなぁ、というのは後で知った。

世の無常を感じて、ちょっと発心しかかっている。

九段下会館では救急車両の終結を目撃。死傷者がでたということは後で知った。南無

個人的にはあんまり緊迫感がなく、みんなでゾロゾロあるいている非日常を楽しんでいたらしい。「東京タワーが曲がったらしい。押上タワーできるまで頑張れよ」とか、割とアホなことばかりつぶやいている。

一方、デマには慎重だったみたいだし、真面目なツイートもしている。たとえば、このアイデアはなかなかイケるかもしれん。――と一瞬思ったが、ネットワーク化が前提だし、機能させるのは難しいだろう。異常時に広域避難個所を示してくれるだけでも役に立つかもしれないので、今でも取り組む価値のあるアイデアじゃないかとは思うが。

道中で受けた支援

東横イン浅草橋交差点」ではトイレが解放されていたので、利用させてもらった。長蛇の列ができていたので、大便器と小便器の両方を備えた障碍者用のトイレを独りで占有するなどという贅沢は許されない。おっちゃんとシェアしながら、「なんか大変なことになってますねぇ」という会話をしたのを覚えている。大便器に座った記憶はないので、おそらく自分が小便器を使っていやのだと思う。

本当はこのあたりで歩くのが面倒くさくなって、カネをだして泊まろうかと思ったのだけど、同じことを考える人は多いみたいで、その考えは早々に捨てた。そもそもお金500円しかもっていなかったし。

30分ほど休憩&TV で情報収集してから出発。

その10分後、原発事故の第一報を Twitter で入手。その時点では続報を待つという態度。

ちょうど本所のあたりを歩いていたみたいで、関東大震災で大勢の人がここで亡くなったことに思いを馳せ、昔よりは防災対策が進んでいるのではないかなどと考えていたらしい。

家族の安否確認

日が暮れて暗くなった道を独りで歩いていることに、さすがの自分もちょっと不安になってきたのだろうか。地震発生から6時間後、緊急を優先して差し控えていた家族への電話連絡を初めて試みるが通じない。

あいかわらずテキトーに思ったことをつぶやきながら、独りテケテケと千葉街道を東に進んだ。

小岩に到着&居酒屋さんでご飯

帰りしなに食材を買おうと思っていたが(それでお金をおろしたっていうのもある)、途中、コンビニがすっからかんになったのを目撃したりして、あっさりその考えは捨てたらしい。飲食店が開いているのは目にしていたので、当初は行きつけのインドカレー屋さんによることを目論んでいたのだが、閉まっていた(小岩はインド人が割と多い)。よく考えたら、海外の人にこの地震はショックだったろうと思う。しょうがないので、行ったことはないが気になっていた近所の居酒屋さんに寄った。ちなみにここは悪くない店なので、気軽に暖簾をくぐってみるとよい。引っ越ししちゃったのでそのあとのことはよくわからないが、まだあると思う。

大将が TV を観れるようにしてくれたので、それを観ながらお刺身とビールで疲れを癒す。あとは、デマにケチをつけたり、神戸のときを思い出したり。

ここでようやく妹と連絡がついたらしい。おそらくここで親や他の兄弟の安否も知ったらしく、妹の情報収集能力を高く評価しているようだ。

これで安心したせいか、その日の Twitter による情報収集はそこでやめてしまったらしい。

居酒屋さんで一緒になったおじさんと TV を観ながら意見を交わしているうちに、行きつけのクラブでおごってやるよという話になったようで、そのままハシゴした。しかも、大変失礼なことに、歩き疲れたせいか先に寝てしまったよう。4時にママさんのひざのうえで目を覚ました時には、おじさんはすでにお会計を済ませ、去った後だった。