だるろぐ

明日できることは、今日しない。

『宦官―側近政治の構造』

宦官(かんがん)―側近政治の構造 (中公新書)

宦官(かんがん)―側近政治の構造 (中公新書)

東京へ行っている間、暇つぶしに Kindle で読んだ。宦官といえば、中学の時に学校の図書館で“最後の宦官”の写真をみたのを今でも覚えている(きっとその界隈では有名な本なのだろう、そのあとも2度ほど違うところで見かけた)。宦官≒歴史的存在だと思っちゃいがちだけど、つい何十年か前までは、実際に生きていたんだよなぁ。

さてさて。

宦官(かんがん)というのは、チンコを切ったヒトのこと。なぜわざわざチンコを切るようになったのかは定かではないが、その歴史は紀元前8世紀ごろにまで遡ることができるという。たとえば東洋では周王朝の制度に組み込まれていた――「王宮每門四人,囿游亦如之」(『周礼』)。西洋では古代アッシリアの伝説上の女王セミラミスが始めたとされているという。

漢語では閹人(えんじん)寺人(じじん)などとも呼ばれるが、刑罰(宮刑だの、腐刑だのという)によりその身に堕ちることが多かった(司馬遷は有名な例)。しかし、単に去勢したものは浄人(穢れのない身)とも呼ぶように、必ずしも負のイメージのみで語られるべきものではない。

それ生れながらの閹人あり、人にせられたる閹人あり、また天国のために自らなりたる閹人あり、これを受け容れうる者は受け容るべし

――『マタイ伝』

つまり、性欲を断つために自ら去勢することもあった(自宮という)。そうした人間は、ときにさまざまなことに才能を発揮する(紙を発明した蔡倫なんかもそんな宦官の一人かもしれない)。

まぁ、その過程はともかく、宦官はチンコをもたない。ゆえに婦人に邪な欲望を抱かず、姫妾の世話などに重宝された。また、係累をもたないゆえか忠誠心の高いものが少なくなく、やがて王宮の守護、皇帝の秘書などとしても信任されるようになった。

宦官はペルシア人の風習――彼らは普通の人間より宦官の方がはるかに信頼に値する――(宦官は)君主が臣下を制することをねらってもうけた神秘的な距離の役割をする。

――ヘロドトス

すべての臣下たちは例外なく家庭があり、当然おのれの子孫のことを考えている。だから、すべてをなげうって君主のためにつくすことができるはずがない。されば、ただ日夜したしむ宦官だけがまかしうる唯一のものである。

――南漢(10世紀広南にあった国)の君主

しかし、これがのちの宦官の専横を招くことになるのだが。専制君主国家にとって「執務をだれに、どれだけ任せるか」は常に問題だったが、皇后(呂后・則天武后など、女性が朝を牛耳ろうとした例は少なくない)、外戚、有力貴族(清流官僚)との権力争いの中、宦官はときに利益を享受し、ときに犠牲になった。

本書で面白かったのは、宦官の供給源の変遷*1や、切り取った後のチンコの話*2。明では宦官しか火器を扱うことが許されず、戦時には宦官が出動したというのは知らない史実だった。

ただ、歴史の概説は教科書的で冗長、あんまり面白くなかった(ところどころおかしい気もした)。初めて触れる人には興味深いかもしれないけれど、細かいところは端折って、エピソードを増やした方がいいかなって感じたかも。

あと、著者の最後の言葉は不気味だった。

権力に直属しながら、今日的な秘書ではなく、単なる「取巻き」として、権力者に的確な情報を伝える能力を欠いた側近が流す害毒が、企業にとって、国家にとっていかに大きいかは言うまでもない。

このように見てくると、権力に直属し情報を独占する側近グループ、この組織としての宦官的存在は、現代においても無縁のものではないと言えよう。

少しく牽強附会に過ぎたかもしれないが、読者のなかには、自分の周りを見まわして、あるいは思いあたるふしのある方もあろうかとひそかに筆者は思っている。

チンコのある宦官が跋扈してるところは少なくないのかもしれない。宦官的なポジションはチンコのあるなしではなく、組織の構造が生むものだから。

*1:当初は異民族制服を誇示するためのもので、残虐性と宗教性の表れだった。唐では税として宦官を辺境地方から“徴収”し、明清代では立身の一方便として自主的な“供給”が行われた

*2:盗まれたりしたらしいぞ! ビックリだな!