だるろぐ

明日できることは、今日しない。

『同時代史』

同時代史 (ちくま学芸文庫)

同時代史 (ちくま学芸文庫)

私が今から述べるのは、災禍に満ち、相克で悲惨な、擾乱で反目し合う、平和ですら血腥い時代の物語である。四人の元首(皇帝)が剣で命を絶たれ、三度内乱が起こり、それよりも多い外敵との戦い、そのいくつかは内乱と外戦を織り交ぜていた。

言わずと知れたタキトゥス(タキトゥス - Wikipedia)の著作。『アグリコラ』『年代記』などの著者でもあるが、一番有名なのはたぶん『ゲルマニア』。高校の世界史で習ったよね!

本作は4巻(ほんとはもっとあるが散逸)から成り、それぞれ“剣で命を絶たれた”3代4人の皇帝と勝者ウェスパシアヌスにおよそ符合している。

  • 第一巻、西暦69年1月1日から3月まで。名将コルブロや哲学者セネカなどを死に追いやって国民の支持を失いつつあるネロ帝を見限り、ガリア・ルグドゥネンシス(フランス中部)総督ウィンデクスが、ヒスパニア・タッラコネンシス(だいたいスペイン)の総督のガルバを皇帝に推戴して反乱を起こす。ウィンデクスは高地ゲルマニア(ライン川上流)の総督ルフス鎮圧されるが、ガルバはルシタニア(ポルトガル)総督オトとともにローマ入りを果たし、帝位に登る。しかし、低地ゲルマニア(ライン川下流)の軍団がそれを不服とし、総督ウィッテリウスを皇帝に推戴。ガルバは若きピソを養子に迎え(共同皇帝)、体制を盤石にしてウィテッリウスと対抗しようと試みるも、今度はオトがそれを恨みに思い二人を殺害してしまう。
  • 第二巻、同年3月から8月31日まで。ウィテッリウスがアルプスを越えてイタリアに侵入。皇帝オトはそれを迎撃せんとするが、ベドリアクムで敗北し、潔く自死する。ウィテッリウスはローマで皇帝になるが、今度は西方でユダエア(ユダヤ)戦役に従事していたウェスパシアヌスが、シュリア(シリア)総督ムキアヌスに説き伏せられて反旗を翻す。
  • 第三巻、同年9月から12月まで。ムキアヌスがローマへ進軍するも、途中、ダキアで異民族の侵入があり足止めを食う。しかし、マルクス・アントニウス・プリムスがドナウ防衛の軍団を率いて暴走、クレモナを焼き討ち、ベドリアクムでウィテッリウスを撃破、死に追い込む。アントニウスはそのままローマへ入城するが、この時ローマまで焼いてしまう。混乱に乗じて、ガリアがキウィリスのもと蜂起(のちの「ガリア帝国」)。
  • 第四巻、西暦70年1月から秋まで。ムキアヌスがローマへ入城。アントニウスをお尻ぺんぺんする。ウェスパシアヌスも、帝国の食糧庫エジプトをしっかり押さえたあと、海路イタリアへ向かい、ローマを再建、皇帝になる。ウェスパシアヌスの長子ティトスもエルサレムを陥落させ、ユダヤ戦役を終わらせる(第五巻)。

古典といえば重厚長大、重々しくて長ったらしいというイメージが個人的にあるのだけど、この『同時代史』はスピード感があって、一気に読んでしまった。原文がいいのか、訳がいいのかはよくわからないけど、たぶん両方いいんだろう。

ただ、文句がないわけでもない。

というのも、たぶんローマ史をひととおり把握してないとわからないことが多すぎる。たとえば、さらりと「援軍」と訳されているが、これは Auxilia(アウクシリア - Wikipedia)のことで、要するに正規軍(legio)ではない、同盟市や友好部族が供出する補助軍団のことだ。これはローマ帝国のそのまえ、まだ共和制だった都市国家ローマが同盟市から援軍を得たことに由来していて、装備も編成も異なる。古代では金銭で協力するよりも、「血」で協力することがより名誉なこととされていた(今でもそうだとは言えるけど)。

あとは、だいたいの地理。「ルグドゥヌム」がどこかパッとわからないようでは、少し辛い。首都および各地の軍団の関係も把握してないと、よくわからないことになる。大きく分けてローマ軍団はライン川(高地・低地)、ドナウ川、シリアを守っていて(細かく言えば、ブリタニアとアフリカにもいる)、それぞれ異民族から帝国を守っていた。おそらくそれぞれ自分たちを最強だと自負していたろうし、対抗意識もあったんじゃないかな。それが事態をややこしくさせる。

もちろん後ろの方に詳細な註が付いているのだけど、いちいちページを行ったり来たりするのは骨が折れるだろう。ルビを援用したり、カッコ書きで補足を加えるといった工夫があればもっとよいのに、と思った。

まぁ、いつもはあんまりそういうことを気にしないのだけど、普通の人にも薦めたい本だと思ったので少し気になった。