だるろぐ

明日できることは、今日しない。

新しい共和主義

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試みに、政治的自由と経済的自由というベクトルをもうけてみた。

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孤立した個人は、サルの自由をもつ(四つの自由 - だるろぐ)。しかし、ヒトは共同できるほうがより多くの自由を獲得できるはずだ。古典的共和主義が重視したのは、この自由だ。とくに古代ローマにおいては、コミュニティ(贈与社会)においてどのようなプレゼンス(よい影響、献身、犠牲)を与えられるか、同時に個人においてはどれほど自分の欲を抑えられるか(清貧、諦念)が思想的課題だった(ストア哲学)。

しかし、実際の歴史においてそれは束の間の奇跡であって、中世では専ら宗教と封建権力によって贈与社会が洗練・高度化されていった*1。その間、歴史の進歩は一進一退であったけれど、基本的に経済的な力を蓄えた下層階級が、より多くの政治的権力を獲得するという過程を経て、次第に政治的・経済的な地位を向上させていった。

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14世紀以降、西洋は新しい局面を迎える。一つはルネサンス(古典復興)。古典的共和主義がもう一度思い出され、宗教・封建権力が否定される。ここでの主役が、ニコロ・マキャヴェリだ。彼は権謀術数(マキャベリズム)の祖として記憶されるに過ぎないが、もっと思い評価を与えていいと思う。ルターに代表される宗教改革は、彼の路線の延長に過ぎないとさえ思う。

もう一つは、18世紀からおこった産業革命。それまでの列強は大きな「ムラ」にすぎなかったが(「マチ」と「ムラ」 - だるろぐ)、列強が軍拡・経済競争に明け暮れた結果、それまで「ムラ」を「ムラ」として縛り上げてきたルールを解き放ち、利己心を肯定するようになった(「なぜ産業革命が起こったのか?」 - だるろぐ)。

ここで、古典的共和主義の限界が解き放たれる。贈与より交換、社会に埋め込まれた経済より経済に埋め込まれた社会(交換社会)へと移行していく。

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そこでうまれた二つの潮流のうちの一つが、ルソーに代表される政治的自由主義リベラリズム)だ。リベラリズムは、大陸合理主義に根ざしている。つまり、すべてのヒトには等しく理性が備わっている。ゆえに、その理性を働かせさえすれば、人民はある一つの結論――一般意思――へ到達することができる。リベラリズム“左翼”の台頭は、既存の古典的共和主義を時代遅れな“右翼”へと貶める。

男性と女性は平等であるべきだ。
子供も大人と等しく人間として扱われるべきだ。
人種間に不平等があってはならない。
生まれによる差異、努力によって解消されない社会的差別は不公正である。

「個人」はかけがえのない「個人」であるがゆえ、無条件に尊重されるべきだ。共同によって社会をなした「個人」は、政治的自由を得て、もう一度自由な「弧人」へと還る。

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もう一つの潮流は、古典的共和主義の復古が生み出した産物――市民社会――を土台に、個人の経済的自由を肯定する運動だ。その元祖はなんと言ってもアダム・スミスだ。ただ、彼の後継者の一部はその土台を忘れ、専ら経済的な自由を主張するようになったが。

リベラリズム(および共産主義)は、そんな経済自由主義のカウンターパートでもある。経済自由主義は個人を抑圧している。ゆえに、規制されるべきだ。そして、そのカウンターパートとして現れたのがリバタリアリズムといえる。経済的自由主義の抑制は、全体主義につながり、むしろ政治的自由を喪失させる。所有と選択の自由こそが、重視されるべきだ。

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リベラリズム・リバタリアリズムは、どちらも現代が得た思想的果実といえる。では、そのどちらかに組するべきであろうか。必ずしもそうはいえないのではないか。

経済的自由主義抜きでは、現代で僕らの享受する地位は得られなかっただろう。しかし、政治的自由主義から得た恩恵も少なくない。では、どちらもが共存できる道はないのだろうか。

“新しい共和主義”は、それを模索する。経済的・政治的自由のどちらもが、古典的自由主義を等しく土壌としており、しかしそれを若干ないがしろにしているのを憂う。その点で、“新しい共和主義”は保守的だといえる。ただ、旧来の保守主義で留まることは潔しとはしない。経済的・政治的自由によって得られた成果は正当に評価し、取り入れるべきだ。そして、経済的・政治的自由主義が本来の目標を見失って滞留したとき、それを批判できる理論的根拠を手に入れなけばならない。

*1:東洋では封建権力が発達したものの、宗教の発達がみられなかった。そこで、知的矛盾(哲学 vs 宗教、中世の普遍論争などはその点で無駄ではなかったのだと思える)が爆発することなく、封建社会の元で緩やかに経済が発達していった。故に、18世紀までは東洋のほうが豊かであった