貨幣は人を堕落させるか
貨幣廃棄論の根底には、貨幣に対する二つの不信がある。
一つは、物神性と疎外の問題。
人間が作った貨幣に、いつの間にか人間が支配されている。人間の自由と尊厳が奪われている。近代において、人間は自由意志によって労働力を売る奴隷だ。
貨幣が存在する限り、世界はけっして自由でありえない。貨幣が使われるようになってから、人類はどれほどの悲惨、不幸を味わってきたことか。
ヴァイトリング『人類、その現状と未来』
確かにそうかもしれない。
けれど、これは貨幣の問題ではなく、交換の問題だ。このことは 『貨幣の思想史―お金について考えた人びと』 - だるろぐ で指摘しておいた。さしずめ、先のヴァイトリングの言葉は、「貨幣が存在する限り」ではなく「交換が存在する限り」と表現すべきと言える。
もう一つの不信は、貨幣が道徳を破壊するのではないかという懸念。
これは1つめの不信にも関連する。というのも、貨幣(=交換)が人間を支配する世界とは、貨幣の倫理――自己愛、利己主義――を肯定する世界でもあるからだ。贈与世界では、この忌まわしい倫理をコミュニティが否定・抑圧してきた。しかし、交換世界ではこれが解放されるどころか、積極的に肯定される。
今晩の夕食が期待できるのは、肉屋や酒屋やパン屋の博愛のおかげではなくて、かれらが自分の利益に留意するからだ。
スミス『国富論』
まぁ、なかには自分の利益(self-interest)に留意しすぎて、貪欲・堕落を生むことだってあるかもしれない*1。
けれど、貨幣の倫理、交換の倫理は、それまでにあった閉鎖的なコミュニティ(贈与世界)にない良い面も生み出した。
たとえば、個人の尊重、権利の概念、法の前の平等、契約の重視などなど。これまで小さな社会によって守られていた(特殊的)道徳が、必ずしもそれにはよらない、個人対個人の関係でも遵守される(一般的)倫理となる。つまり、市民社会(Civil Society)の誕生だ*2*3。
ヒュームやスミスは、そうした洗練された個人――市民――に信頼を寄せていた……と共和主義のお話に繋がったところで、今日はおしまい。
- 作者: ジェインジェイコブズ,Jane Jacobs,香西泰
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
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