西洋版 「隴を得て蜀を望む」
人苦不知足、既平隴、復望蜀、毎一發兵、頭鬚為白。
『後漢書』岑彭伝
「望蜀」とは限りない欲望を戒める言葉だけど、西洋にも似たような故事があるらしい。
エペイロスの王・ピュロスは、かのアレクサンドロス大王の再来と自他ともに認める戦術の天才だった*1。ローマの圧迫に苦しむタレントゥム(現ターラント)の市民はその評判を聞き、ピュロスの支援を仰ぐことにした。
ピュロスのほうもまんざらではない。当時、盟友の裏切りによってマケドニアの王の座を追われるなど、ギリシアではさほど(自分が自負するほどの)能力に見合った見返りを受けているわけではなかった。そこへ、戦術の評判を聞きつけて応援を請われるなど、自尊心をくすぐるではないか。蛮族どもを相手にちょっくら手堅く儲けるか、と思ったのか、アレクサンドロスが東へ征くなら俺は西へ征く、という気分だったのか。とにかく、ピュロスはその申し出を受けることにした。
すると、ピュロスの家臣で弁舌に巧みな外交担当・キネアスが、王の寛いでいるときを狙って進み出て、彼を諌めた。
「王よ、ローマ人は戦上手で、多くの勇猛な民を従えています。もし神の思し召しにより、私たちがこの者どもに勝つことができましたならばどうしましょう」
「何をわかりきったことを。ローマに勝てば、蛮族にせよギリシア人にせよ、イタリアはもはや目ぼしい街はない。イタリアのすべてが俺のものになるだろう」
「イタリアを手中に収めましたならば、次はどうしましょう」
「すぐそばにシチリアがあるではないか。あれは豊かで人も多い島だが、奪うのは極めて容易だ。アガトクレスが世を去って以来、あそこでは町々を束ねる者がなく、扇動家どものやりたい放題になっている」
「そうですね。では、シチリアを獲ったらこの征旅は終わりというわけですね」
「なんの、キネアス。かのアガトクレスがすんでのところで掴みそこなったリビアだのカルタゴだのがあるではないか。すぐ手が届くところにあるのに、手をこまねいているだなんてもったいない。ここいらを攻め取ってしまえば、今我々に無礼な連中*2でさえも、俺に屈服せざるを得まい」
「もちろんです。かほどの勢力があれば、マケドニアを取り戻すのはもちろん、ギリシアの支配者にだってなれるでしょう。――では、私たちが世界の支配者になったら、王はどうなさいますか」
「はっはっは! そりゃ暇になるな! だったらどこかに腰を落ち着けて、毎日宴会だな。今みたいにお互いいい気分で大いに話し合い、論じ合おうじゃないか」
キネアスはそこでピュロスの言葉をさえぎってこういった。
「その宴会ですが、今やるわけにはいきませんか。今でも十分暇じゃないですか。血を流し、大いなる苦労を重ね、危険を潜り抜け、他人に多くの不幸を与え、こっちも不幸になった末の暇でないと、宴は開けないのでしょうか」
ピュロスはキネアスの言葉を退けてイタリアに上陸し、連戦連勝する。けれど、得るところは少なく(ピュロスの勝利 - Wikipedia)、その後も請われてシチリアなどを転戦。最後はアルゴスで命を落とした。
- 作者: プルタルコス,柳沼重剛
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ピュロスの対の伝記がマリウスというのは、なかなかいいチョイスだと思う。