だるろぐ

明日できることは、今日しない。

プルタルコス 『英雄伝』 <2>

この巻では、<ローマの盾> ファビウス・マクシムスと <ローマの盾> マルケルス が登場。二人の死には、電車の中ながら、少し涙腺が緩んでしまった。この二人は、結局ローマを脅かしたハンニバルに対して決定的な勝利をおさめることができず、最後は若き大スキピオにすべてもっていかれてしまった感じがある。けれども、二人とも高い能力をもち、一番困難な時を耐え、その徳にふさわしい死を迎えた。なかば祖国を呪って死んだスキピオを思えば、幸運なことだったとも感じる。

そのスキピオの伝記が失われているという。これと対にされたエパメイノンダスにも非常に興味があり、両者の力量を思えばさぞかしおもしろい対比伝記になったろうと思うと残念でならない。

それにしても、僕はギリシア人よりもローマ人のほうが好きらしい。ローマ人の伝記には心躍るけど、ギリシア人の伝記には少し冷たい自分がいる。

ひとつにはギリシアの歴史に疎いということがある。人物名がでてきても、よっぽど有名な人物でない限り、何をした人なのか分からず、物語に没入できない。

もうひとつには、おそらく、ギリシア人は個人として英雄であっても、社会としてその業績を持続させる熱意に欠けるということがある。ローマ人の一生は、ローマの興隆に直接結びついている。だから一生に意味を見いだせる。けれど、ギリシア人の一生は街にひとときの力を与えるだけ。死ぬと何も残らない。プルタルコスが伝記としてギリシアの英雄たちの事績を残そうとしたのは、彼らが歴史書の対象としては少し物足りなかったからなのかもしれない。

しかし、その中でも特異なのはスパルタ人。彼らの事績の多くには、人名が刻印されていない。アテネやコリントスの人間ならば「誰がやった」かが重要だけど、スパルタの場合は「スパルタ人がやった」と書けば十分なのだ(無論、その例外も多いけれど)。スパルタ人は、ひとりひとりがスパルタというモノの一部で、スパルタを維持するために貢献した。ただ、革新的な人を多く生まず、進歩に欠けている。要するに、ファビウス・マクシムスとマルケルスばかりの国で、スキピオ(やカエサル)には無縁の国だったのだと思う。