だるろぐ

明日できることは、今日しない。

初期贈与と純粋贈与

初回贈与はかならず純粋贈与であるけれど、純粋贈与は初回贈与であるとは限らない。これまではおもに等価交換としての贈与循環を考えてきたけれど、返礼の際に受け取った以上のモノを与えることも当然ありうる。その差分は、純粋贈与とみなしてよい。互いに等価な特殊的あるいは一般的な贈与循環が成立すると、なんの見返りも期待できない初回贈与よりも、純粋贈与に伴う心理的ハードルは下がる。つまり、贈与規範が強固になるにしたがって、より多くの純粋贈与が贈与循環へ組み込まれていくと期待できる。純粋贈与と贈与規範の強固さのあいだには、とくにその成立期においては、正のフィードバック関係が存在する。

無論、逆に受け取った以下の返礼を行わない場合も考えられる。その場合は、受け取った以上の返礼を行う場合とは逆に、贈与循環は収縮してゆく。そうなると、いつかは贈与循環が解消されてしまうだろう(贈与循環の衰退期)。

そのため人間社会は、贈与循環を維持するためのシステムをいくつも発明してきた。

  • 習慣:贈与循環の真の意味を知らなくても、それを習慣として保存することはできる(立法、宗教)
  • 道徳:コミュニティの発展・維持に貢献したものを称える(信義、名誉、無形贈与、宗教)
  • 制裁:不当に少ない返礼を行うものには罰を与える(司法、立法、宗教、負債?)
  • 教育:道徳と制裁を次世代に刷り込む(継承、宗教)

なかでも宗教はそのすべてを含むという意味で、最良のシステムであったと言えると思う。宗教は、封建制度と近代的な経済システムと並び、人類が産み出したなかでも社会科学上最も重要な発明だった。

しかし、それを論じる前に、まず1対1の贈与関係をもう少し厳密に考察したのち、それを拡大させた集団的贈与関係について少し考えておかなければならない。