『墨子』(東洋文庫)
- 作者: 藪内清
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1996/04
- メディア: 単行本
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『墨子』は講談社学術文庫とちくま学芸文庫で読んだけど、どちらも抄訳で、未収録の部分が多かった。それ以外の部分にも触れてみたかったので、生まれて初めて東洋文庫を買ったけど……やっぱ、白文ぐらいはほしいぞ! とくに『墨子』は欠損も多くて、校訂や解釈で補ってる部分が少なくない。それを意味が通じるように意訳しているのだから(意訳自体は読みやすくていいと思った)、白文がないと大変困る。
書き下し文も付けろとは言わん、でも、白文ならそんなにスペースはとらないはずで、お値段が上がってもお願いしたいところだ。
まぁ、新釈漢文大系買えよって話だね。
で、内容だけど――
墨経の部分は大変面白かった。今の僕らは論理学の初歩的なことをみんな知ってるから、それがない時代、手探りで論理を研究するとき、文章をどう分析しただろうというのがサッパリわからない。墨経にはそのヒントがあって、この時代の論者は論理から“比喩”をどうしても抜いて抽象化することができなかった様子がうかがえる*1。
とはいえ、墨子がアリストテレスのような論理学を構築できなかったのを責めるのは酷かな。僕は理論家であると同時に、そしてそれ以上に実践家だったのだから。彼には理論だけを精緻にする時間がなかった*2。彼の後継者も教えを墨守する嫌いがあったようで、理論面で名を残した人はいない(「墨経を唱える」ではダメだよな。*3。墨子がもっと理性主義・論理主義に没頭できていれば、中華の歴史もだいぶ違ったんじゃないかなってちょっと思ってしまった。