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『第七駆逐隊海戦記―生粋の駆逐艦乗りたちの戦い』

第七駆逐隊海戦記―生粋の駆逐艦乗りたちの戦い (光人社NF文庫)

第七駆逐隊海戦記―生粋の駆逐艦乗りたちの戦い (光人社NF文庫)

戦艦・巡洋艦乗り組みとはまったく違う「駆逐艦気質」というのが窺えて面白かった。

第一航空戦隊の第七駆逐隊は、特II型(綾波型)の4隻で構成された駆逐隊。

  • 朧(おぼろ):竣工1931年10月31日(佐世保海軍工廠) 戦没1942年12月24日 キスカ島北東方水域にて沈没。
  • 曙(あけぼの):竣工1931年7月31日(藤永田造船所) 戦没1944年11月13日 マニラ湾にて沈没。
  • 漣(さざなみ):竣工1932年5月19日(舞鶴工作部) 戦没1944年1月14日 中部太平洋のウォレアイ諸島水域にて沈没。
  • 潮(うしお/うしほ):竣工1931年11月14日(浦賀船渠) 除籍1945年9月15日 解体1948年8月4日

終戦間際には、ほかの仲間を失って弧艦となっていた「霞」や「響」が加わっていたことがある。「響」などはミッドウェー砲撃(真珠湾攻撃の一環として行われた陽動作戦)にも参加してる(「潮」「曙」「響」の三艦が参加)ので、わりかし縁は深い。逆に「朧」などは単艦で第五艦隊(北方担当)に引き抜かれていたりして、あまり行動を共にしていない感じ。

旗艦は「潮」で、駆逐隊司令の小西要中佐と司令部付きの通信兵である著者が乗り込んでいた。

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忘れがちだったけど、「潮」って数少ない残存艦のうちの一艦だったのな。

個人的ツボ。

  • 小西司令の捜索願。この司令はなかなか愉快な人だなーと思う。
  • 「鼠上陸」と「油虫上陸」。鼠を捕獲すると“入湯上陸”の許可が得られる。鼠の死体を使いまわしたりもしていたとのことで、そのあたりの駆け引きが面白い。

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そういえば『榛名新聞』で鼠の捕獲数の記事とかあったっけ(【艦これ】これはOUT!榛名新聞っていう史料にあの超有名なネズミが!ハハッ!【あ艦これ】 | 艦これまとめ魂)。ネズミって船から船へと泳いだりもするらしいから、キリがなかったろう。

  • 厳しい訓練(実戦さながらの訓練で大事故起こしたりとかも。 美保関事件 - Wikipedia なんかが有名)。日本海軍は艦艇数が少なかったから、少しでも質を高め、駆逐艦でも大艦を仕留めて逆転が望めるよう訓練されていた。
  • 皇族の伏見宮が司令を務めた第六駆逐隊(特III型(「暁」型)4艦から成る)にも勤務。「いうなれば宮様出身の駆逐艦乗り野郎であらせられた」。皇族座乗艦ならではのエピソードもw
  • 「陸奥」爆沈は「潮」が誤って落とした不発爆雷のせい? 爆雷1発で沈むとは思えないけれど。
  • ドイツ仮装巡洋艦「ホルスト号」を拾う。
  • スラバヤ沖海戦。「妙高の野郎、ヤクザの親分気取りだよ。テメーは遠くにふんぞり返って、俺たちに殴り込めだとよ。だから俺は、どうも大艦のやつらに仁義がねえって言ってんだよ」「それでよ、うまくいきゃ、新聞にデカデカと書かれて、感情をもらうのはヤツラだぜ」
  • 珊瑚海海戦。全速の40ノットで航行する「潮」をオーバーていくして逃走する正規空母「翔鶴」さん。
  • 高高度航空偵察の未熟さ。土木工事での敗戦。
  • 軽巡洋艦程度ならば、特型駆逐艦で負ける気がしなかったらしい。とはいえ、砲戦の機会なんぞほとんどなかったし、主な敵は航空機だった。

「駆逐艦気質」というのは痛快であり一種の美学でもあるけど、その裏返しが通商破壊や商船護衛の軽視だったのかもと思うと、そんなに感心してもいられないかな、と個人的に思った。これまで培ってきた美点が、次の時代には拭いようもない欠点になっているのだから、そりゃぁ、まぁ、盛者必衰なんだろう。

駆逐艦一隻の建造費は、当時のおカネで二百万円(大戦後期は百五十万)。魚雷1本、一万円。一等水兵の月給が十一円。「大和」は測距儀だけで四十万円だった(『造艦テクノロジーの戦い―科学技術の頂点に立った連合艦隊軍艦物語』 - だるろぐ)。