『評伝 今西錦司』
- 作者: 本田靖春
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/03/17
- メディア: 文庫
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今西錦司という名前を初めて聞いたのは、高校生の頃だった。題名は忘れたけど、確か新書で触れたのだと思う。記憶にあるデザインからすると、おそらく『主体性の進化論 (中公新書 583)』だったのではないか*1。高校三年生の頃は寮に入っていたのだが、ほかの本は自習室に与えられた机の本棚に並べていたにもかかわらず、この本だけは自室の机の上に置いてあった。理由は忘れたけれど、それぐらい気に入っていたということなのだろう。
もう一つ覚えているのが、『サル学の現在 (上) (文春文庫)』。これは立花隆によるインタビュー形式になっているのだけれど、そこでの今西のナゲヤリ感がとても印象に残っている。そして、とても残念でもあった。インタビューアーのフォローも痛々しい、敗者の姿がそこにあった。
というわけで、自分の中で今西錦司というひとは「偉大だと思うし尊敬するけれども、学説論争においては敗れた学者」というイメージ。そのイメージのまま、15年を過ごしてきた。
けれど、たまたま今回この本に触れてまた少し印象を改めた。
このおっさんは、自分の正しさを確信しているのだけれど、(当時のレベルの)分析的な・科学的な方法ではそれを表現できなかったのだと思う。晩年ですら、負けを認めたというより、「なんでわからへんねん、アホどもが」と思っていたのじゃないだろうか。
この本は今西の研究よりも、山や冒険とのつながりに重きを置いて描かれている*2。自分にとってはそれが新鮮だったし、そこで描かれている嗅覚と行動力には心底舌を巻いた。けれど、もっとも印象深く、意外に、それでいて深く納得させられたのが、今西が典型的な町人気質だったという点。
彼は無理だと打算すれば、「ほな、別をやろうか」と簡単に見栄を捨てて方向転換できる人だった。だから、このおっさんがあきらめなかったことには、固執するに足る理由がある。たとえそれが表現できるものでなくてもね。
……ような気がする。とりあえず、『主体性の進化論 (中公新書 583)』は買いなおしてみた。