だるろぐ

明日できることは、今日しない。

Twitter で研究室の研究内容をバラすのは悪か

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私は現在博士課程に所属しており、今まである材料について研究を行なってきました。その材料についてはTwitterで検索をかけて、タブで検索結果を常に表示させるようにしています。……

検索をしてみると、確かに期待した情報も数多く得られたのですが、学部や修士の学生が「俺こんな実験やってます!」とか「こういう研究テーマを行なっています!」という呟きがかなり引っかかり、非常に危機感を覚えました。「お前、正気か?」くらいのテンションでした。

なぜ研究テーマや実験内容をつぶやく(ネット上で公開する)のがまずいのかというと、競合する研究者に情報が漏れる可能性もあるからです。

whitemountfield's blog: Twitterで学生が研究内容を暴露している件について

僕なんかは、独力で秘密裏に“フェルマーの最終定理”の証明へ取り組んだワイルズ(アンドリュー・ワイルズ - Wikipedia)をエルデシュ(ポール・エルデシュ - Wikipedia)が批判した話などを思い出すし、企業がスポンサーする研究ならばともかく、大学という場を公的に与えられているのだから、そこで得た成果を公に対して秘匿するのはいかがなものか、などと思ってしまう。もっとオープンな議論と成果の共有があれば、さらなる発展があったかもしれないのに!

けれど――。

研究資金の取り合いなどといった事情が絡むと、そういったことも言えなくなるよな。独自研究がバラされれば、隣の研究室に成果を掻っ攫われ、研究室の存続が危うくなるのかもしれない。

自分は安上がりな文系学科だったせいか、研究内容を秘匿する雰囲気はなかったように思う。むしろ内容がカブったほうがよっぽど困るので、緩やかに共有されていた。『数学とは何か』 - だるろぐ で読んだ限り、数学でもそのような感じであるらしい*1。著者も言っている通り「数学はおカネのかからない科学」なので、個人が名誉を独占したいと思わない限り、周りに成果を秘匿する意味がないのだ。

大学というのは本来、贈与の世界に属す社会としては珍しく、平等、公平、自由で、互いを隔てる境界のない世界だと思っていたけれど、交換社会的な競争の原理が持ち込まれるとそうもいっていられないのか、と感じる。インプットに多様性がなく、一つのものを分配する社会で競争がおこれば、開けた社会でのそれ以上に凄惨になりがち。なんとかいい“構造”の改革案が見つかればより多くの人が幸せになれそうなのだけど。

*1:ただし、著者が数学の一体性を信じ、部門の横断・結合を目指す性向をもち、もともと共著論文が多い人であるという点は差っ引いて考えるべきかもしれない