だるろぐ

明日できることは、今日しない。

『数学でつまずくのはなぜか』

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

初めに言い訳をしておくけど、学生時代、数学でつまづいたことはない。この本は、著者のファンだから買っただけだ。

むしろ数学は得意な方だったかもしれない。先生にも理系に進むと目されていたみたいで、僕が文系を選択することを伝えると、「なぜおまえが文系で、(根っからの文系と目されていた)Y口が理系なんだ」と先生に言われたものだった。

自分が文系を選んだのは、化学という科目が無味乾燥に思えたのと、計算をしたくなかったからだ。自分はおっちょこちょいだから、どうしても計算をよく間違える。

一時期「分数の計算もできない京大生」というのが一世を風靡したけれど、自分なんかモロに「分数の計算もできない学生」だった。そりゃ、落ち着いてやればできるさ、でも時間を切ってやったら多分全問正解とはいかないだろうし、そもそもそんなことに自分の時間を使いたくない。「アインシュタインが秘書よりもタイプライターを打つのが速かったとしても、アインシュタインが秘書に代わってタイプライターを打ってはいけない」と経済学にも言うじゃないか。計算というものは計算機がやればいいわけで、僕らは計算機を扱えればそれで十分なのだ(ゆえに自分は少しプログラミングの勉強もした)。

ともかく、計算ミスなんかのために点数を削られるのはある種屈辱だった。そんなことにイライラさせられるぐらいならば、そのトレーニングをする時間で歴史や生物のような、もっとごちゃっとして得体のしれないものについて学ぶ方がずっと楽しい。数学も幾何や自然数の証明問題ならば好きだったし、実際、そのおかげで受験では大いに助かった。

話がだいぶそれた。

前にも言ったかもしれないけど、著者の小島先生は(自分が専攻していた)経済学もなさるから親近感がある。しかも、わからないところはわからないと言う。本書ではまず、アフォーダンス理論をダシにしながら数学の見方を転回してみることが提案される。アフォーダンス理論の説明は割とざっくりしている――なんせ著者自身も「まだよくのみこむことができていない」というぐらいなので――から、そこにツッコミたいヒトだって多いかもしれない。でも、自分なんかは「よし、乗ってやろう」と思ってしまう。普通の本(ここでは論説の類)ならば、著者というものは教えてくれる人か、または論破する相手だ。でも、この先生の本は教えを乞うという感じではなく、一緒に考えようって感じになる。

そこが結構好きだったりする。

内容的には、中盤まではそれほど難しいとは感じなかった。後半はスイッチバックしながら読むことになったけど、類書で見かける話の範疇だし、ついていけないことはない。なによりも、自分が数学につまづかなかったということが、単に細かい疑問を無視してわかったふりをしていただけではないかということに気づけたのはよかったかなと思う。いや、まぁ、気づいていないことはないんだけど、ゆっくりそれをふりかえる機会がなかなか得られなかったが、本書のおかげでその場を持てたって表現するのがより正しいかもしれない。

もし子どもができたら、どうやって数学を学んでいくのかを観察してみたいものだ。いつどのようにして数を知り、操るようになるのか、とっても興味がある。人間は胎内で進化の道筋をたどるというけれど、きっと幼児が学ぶときも知的発展の筋道をたどっているんだろうなと思う。もし途中でつまづいてもそれはそれ、自分にはできなかった体験というやつだ。ぜひその感じを教えてほしいと思う。