民主主義について
Or, to change the metaphor slightly, professional investment may be likened to those newspaper competitions in which the competitors have to pick out the six prettiest faces from a hundred photographs, the prize being awarded to the competitor whose choice most nearly corresponds to the average preferences of the competitors as a whole; so that each competitor has to pick, not those faces which he himself finds prettiest, but those which he thinks likeliest to catch the fancy of the other competitors, all of whom are looking at the problem from the same point of view. It is not a case of choosing those which, to the best of one’s judgment, are really the prettiest, nor even those which average opinion genuinely thinks the prettiest. We have reached the third degree where we devote our intelligences to anticipating what average opinion expects the average opinion to be. And there are some, I believe, who practise the fourth, fifth and higher degrees.
The General Theory of Employment, Interest and Money by John Maynard Keynes
有名な“美人投票”の一節。ケインズは株式投資を「みんなが美人だと思う女性に票を投じる美人投票」のようなものだと喝破した。そのような“美人投票”では、必ずしももっとも美しい女性が選ばれるとは限らない。そればかりか、ときに“バブル”をすら生ずる。みんなが実態の評価を行わず、もっぱら他人の評価をもってその価値を計れば、その評価価値は容易に実態の価値から乖離しうる。
これは何も経済に限らない。
たとえば、ハリントンは有権者を代表する下院に一切の“討議”を認めなかったが(討議と代表の分離、二院制 - だるろぐ)、それは討議によって他者の意見に従属すること、またそれを目的にさまざまな駆け引きが行われること、ひいては“衆愚政治”(だの、党利党略だの)に陥ることを恐れたからだった。“衆愚政治”は、政治の世界の“美人投票”であり、まざに“バブル”そのものだ。
これに陥らないようにするには、有権者は他者の意見をもとに判断を行ってはならないし、他者に影響を及ぼしてもならない。もちろん、さまざまな意見に耳を傾けるのは大切なことだが、それはあくまでも自分の考えの反証(テスト)として用いるべきであり、判断そのものはかならず独立・自立したものでなければならない。選挙の勝ち負けも関係ない。それは単なる結果であり、自分なりの正しい・独立した判断とは、そういったものに左右されてはならないはずのものだ。
民主主義の本質は、決して“多数決の原理”などではない。書いて字のごとく、民(たみ)が民(たみ)の主(あるじ)であることこそにある。だから、真の民主主義において、有権者はそれぞれに“王”でなければならない。「聴く」*1ことはあっても、ただ「従う」ことはあってはならない。また、他者を「従える」ことも“王道”に背く。
ほんとうのところ、民主主義なんて面倒なだけで、嬉しくもなんともない。それでも、みんなが自由であろうと願うならば、民主主義以外の選択肢はない。
*1:“聴許”という言葉があるように、“聴く”ことは王の重要な責務だ。原義はまっすぐ立って、他者の言葉を直接耳に入れること。聞き入れること