権威と権力
- 作者: 浅沼和典
- 出版社/メーカー: 人間の科学新社
- 発売日: 2001/05
- メディア: 単行本
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ハリントンは、権威と権力とは明確に区別されるべきものと考え、ホッブズはこの両者を同一視していると批判する。……
ただ、ハリントンのこの用語法と、両者の区別はからなずしも妥当ではない。
「権力」を単に「強制力」へ読み替えてしまうと、そうなってしまうのかもしれないが、個人的にはこれこそがハリントンらしい、興味深い視点だと思う。
二つの原理 - だるろぐ では、ハリントンのいう二つの政治的原理を検討した。
古代の知恵 | 近代の知恵 |
精神の善(the good of the mind) | 財産の善(the good of fortune) |
叡智、知恵、勇気などの生得的/後天的な徳(virtue) | 富(riches) |
権威(authority)による支配 | 権力および支配権(power of empire) |
理性的な法および共同全にもとづく統治 | 情念および私的利益にもとづく支配 |
前者にマキャヴェリ、後者にホッブズを割り当てる分類には僕もあまり納得がいかないし、単純すぎるという指摘にも頷ける。けれど、あくまでもポイントは「権力」ではなく、その「権力」の源泉にある。
古代:社会(贈与=権威)に埋め込まれた経済(交換)
古代において、「権力」の源泉は集団における“贈与(互酬)”にあった。等価交換を基本した個人対個人の長期的・継続的な直接“贈与”が集団的なものへと発展すると、次第に“贈与”は誰かを“媒介”にして行われるようになる。その“誰か”は“徳”を以て選ばれる。
古代中国では、“徳”をもつものが“宰”を行った。“宰”とは「宰相」ともいうように、政治(まつりごと)を取り仕切ることを言うが、その原義は「肉を公平に分けること」であるという。ここでは“公平性”という“徳”をもつ者へ一度“贈与”が集められ、そして適切に分配することこそが“宰”の役割であり、政治の本質とみなされていた。
本来、「儒」はこうした“王”や“宰”たる者が備えるべき“徳”を説くものであり、徳を備えたものこそが“王”や“宰”たるべきであるという「徳治主義」を説く。“贈与”を支配するものは“権力”をもつに至るが、それはあくまでも“権威”にもとづいていなければならない。
近代:経済(交換)に埋め込まれた社会(贈与=権威)*1
しかし、近代では“贈与(互酬)”に代わって、貨幣を媒介とした“交換”のプレゼンスが高まってきた。
“交換”は“贈与”によって築かれた“権威”のピラミッドを突き崩してしまう。というのも、“交換”は少なくとも理念の上では「対等な個人による自由な契約」にもとづいており、権威主義とは相いれないからだ*2*3。
“交換”によって財を築き、社会に対する影響力を勝ち得ること――財による権力は、もちろん古代にもみられた。しかし、これは「権威なき権力」として侮蔑され、うまく抑圧されていた。どこの社会でも「士農工商」に似た身分システムが敷かれていて、その則を超える事例はごく限られた例外だった。しかも、その事例そのものが“王”による“贈与(恩典)”にほかならない。“交換”世界から“贈与”世界への移籍が行われることはあっても、“交換”世界が“贈与”世界を飲み込む兆候は何ひとつ見られなかった。
近代へのスイッチ
では、なにが世界を古代から近代へと推し進めたのか。
おそらく、西洋では似たような規模の“贈与=権威”、つまり王国や帝国がいくつもあり、それらが互いに争っていたからだろう。
“贈与=権威”は“交換”や、そこから派生する徳(自由主義、多文化主義、発明、進歩)を基本的に否定する。しかし、戦争ともなれば別だ。相手を打ち負かすためには、少しだけ蛇口を緩めなければならない。そして、平和になれば再び蛇口を閉じる。「戦争が技術を進歩させる」とはこのことだ。
東洋には長期間にわたって同じような規模の王国・帝国が併存することが少なく*4、蛇口の開け閉めを安全に何千年と続けてこれたが、西洋では少し緩めすぎてしまった。そして、とうとう蛇口を開けすぎて、閉まらなくなってしまったのが、ハリントンやヒューム、アダム・スミスの時代というわけなのだろう。
マキャヴェリは中世に“古代”の精神を発掘・称揚する一方で、“近代”の手口を発見し、勧めた。ハリントンはそれを継承しつつも、“古代”と“近代”はいっしょくたにできない、全然構造が違う、マキャヴェリはそれに鈍感すぎると考えていた。だから、ハリントンにとってはその構造を明らかにすることと、もう閉まることのない“蛇口”とどのように付き合っていくかが大事だった。