『墨子よみがえる』
なぜか語り口にイライラしながら読み進めていた。墨子が"超現実主義者"にして"死してなお現実と戦う者"なのに、それを語る筆者が"隠居"で、しかも若い人に縁側で教えを垂れるという設定なのが、なんとなく矛盾していると感じられたのかもしれない。けれど、流石歳経る人、一度墨子を読んだことのある僕もなるほど、知らなかったという話が散りばめられていて、全体的には楽しく読めた。まぁ、いちいち戦争の話にかけるのには閉口したけど。この世代の"自分は戦争を体験した"というナチュラルな優越感は、あまり好きではない。あなたたちの世代でケリを付けてくれていれば、今ヤキモキせずに済んだのに。
話が脱線した。
墨子の思想は、端的に言うと"超リベラル"で、既存の社会システムが原因で引き起こされるあらゆる不条理――英才より縁故・血縁が重視されること、戦争、差別など――に反対することだ。そして、さらに凄いのは、実際に実行に写したことだ。
たとえば、墨子は_非攻_という思想をもっていたが、これは単なる戦争反対の思想ではない。実際に自ら武器をとって、攻められた都市を無償で助けることを言う。現に、墨子の跡を継いだ巨子(墨子教団の長)は、ことごとく都市の防衛戦で戦死したり、城門を破られた責任を負って自決した。酒見賢一の小説『墨攻』は、そんな墨子の非攻の精神を、最期は少しシニカルに描いた名作だ *1 。
思想上の敵は、儒家だった。儒家は今で言う所の保守主義的な思想をもっていたが、墨子はそれを別愛(差別的な愛)、偏愛(偏った愛)であるとし、自身は_兼愛_(博愛)を唱えた。そして、それぞれがお互いのことを考えて、互恵関係を築こうという_交利_の思想も、墨子の特徴。西洋で言えば、イエス・キリスト(博愛)とアダム・スミス(同感)を足したもの、と言えるのかもしれない。
ここまで突き抜けていると、尊敬の念しか感じない、憧れる。けれど、すべての人にその思想の実践を求めるのは、酷じゃないかとも思う。そこに、墨子と一般人の壁がある。あらゆる壁を取り除こうと命を賭けた墨子にはちょっと皮肉の効き過ぎた、悲しい現実なんじゃないか。
*1:小説のオチは、墨子のリベラル=論理的・観念的な部分の弱点をチクッと突く秀逸なものだ。ぜひご一読を