だるろぐ

明日できることは、今日しない。

半年前にフラリと丸亀に行った話(2)~いざ、海賊の島へ!

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記録によれば10時半ごろ、本島(ほんじま)行きのフェリーに乗船、出港。塩飽の島々へ向かうやで。ちなみに「塩飽」は「しわく」と読むらしい。自分は「しあく」だと思ってたのだけど、これでもちゃんと変換できるから、割とどっちでもいいのかもしれない。

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塩飽諸島(しわくしょとう)は、瀬戸内海に浮かぶ諸島。「しあく」とも読む。

塩飽島(しわくじま)とも呼ばれ、瀬戸内海の中でも、岡山県と香川県に挟まれた西備讃瀬戸に浮かぶ大小合わせて28の島々から成り(岡山県側は笠岡諸島)、名の由来は「塩焼く」とも「潮湧く」とも言う。戦国時代には塩飽水軍(しわくすいぐん)が活躍し、江戸時代は人名(にんみょう)による自治が行われたが、近年は過疎化が進んでいる。

塩飽諸島 - Wikipedia

要するに、「瀬戸大橋のあたりに散らばってる島々」やね。かつては水軍(という名の海賊)が活躍していて、江戸時代には大名ではなく人名(にんみょう)による自治が行われていたことで有名。勝海舟などが咸臨丸がアメリカへ渡ったときは、この塩飽から水夫が募られたように古来「日本最高の船乗り≒塩飽のヤツら」というイメージだったんだろうね。でも、瀬戸内海と外洋では勝手が違ったろうし、苦労したんじゃないかな……。

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そんなわけで、丸亀の街とはしばしのお別れ。

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右手には遠くに瀬戸大橋がみえる(関係ないけど、この橋の基礎杭はウチの父ちゃんが打った)。

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海には漁船がたくさん出ている。昔もこうだったのかな?

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1時間かからず、本島の港に到着。無計画にきたので、ここからどうすればよいかまったく決めていなかったのだけど、幸い、港で自転車を借りることができたので、それに乗って島を2時間ほど回ってみることにした。ごはん屋さんはなさそうだし、次の便を逃してしまうと丸亀でお昼ご飯が食べられなくなる。

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まずは「塩飽勤番所」というのを目指して、自転車をバビューンと飛ばす……がそれっぽいものが見当たらない。代わりにやたらでかい天理教の建物なんかを目にした。宗派はともかく、海の男は信心深いというからね。かつてアドリア海を荒らしたウスコク(ウズコッキ)も、それはそれは敬虔なキリスト教徒で、教会まで膝で歩いて獲物を捧げたのだとか。

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さすがに行き過ぎたかな……と思いながらペダルをこいでいると、「笠島」という土地に出た。ここは景観保存区域になっているみたい。自転車を降り、足を踏み入れてみる。

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かつての塩飽水軍の本拠地だそうで、防御を考慮に入れた細く、入り組んだ路地が特徴。おばさんに案内をお願いしたところ、丁寧に説明してくださった。

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一番面白かったのは、屋根の構造。これ、ちょうど船底をひっくり返した構造になっているのだそうだ。たしかに船底なら雨水や潮風にも強かろうし、作り慣れてもいるわけで、大変合理的だ。

そのほかのものも“海へ出る”ことが常に念頭に置かれた作りになっていて、水をかぶっても火が消えない灯篭だの、船がひっくり返っても沈まない金庫だの、そういうのがあったようななかったような(半年前なのでこのあたりの記憶はあいまい)。よく管理されているのもあってか、古いけど快適で、こういう家に住みたいなーと思った。

ちなみに家のお値段を聞いてみたけど、よくわかんないみたい。そもそも売ってるのかな。買っても管理は大変そうだけど。

ついでにおばちゃんに「塩飽勤番所」の場所を聞いてみると、やっぱり通り過ぎていたみたい。名残は惜しいが、もときた道を戻る。

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それにしても、この道は景色が美しい。自転車を止めて、見とれてしまった。スマホの写真ではあんまりうまくとれてないけど(自分が下手なのか!)。

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そんなこんなで「塩飽勤番所」に到着――したのだが、なぜかさっきの笠島のおばちゃんまでいた。お昼ご飯の時間みたい。僕は海沿いの道をのんびりきたのだけど、実は近道があったみたいで、おばちゃんはそっちを通ってきたのだとか。たしかに Google Map をみると近道っぽい道がある。海側は遠回りのようで、道理で誰も通らないわけだ。

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塩飽諸島は古来、秀吉、家康の朱印状により、1250石の領地を与えられた650人の船方衆が、明治に至るまで治めてきた土地柄である。船方衆は大名に対し「人名(にんみょう)」と呼ばれ、その組織を島中と呼んだ。人名の代表者が名字帯刀を許された4人の「年寄(としより)」で、1年交代で朱印状を保管し、自宅を役所として政務を執ってきた。

寛政元年(1789)、惣兵衛・小右衛門の両名が代表し、島中の窮状と公役の軽減を幕府に直訴した結果、島治の改革が実施される。世襲による旧年寄に代わり、塩飽全島から3人の新年寄を入札で選出し、寛政10年に勤番所が建築され、年寄が勤務することになった。幕府の認可を受けてから、建築し朱印状を移すまでに5年を要した。

観光・イベント・スポーツ:歴史・文化財:塩飽勤番所 | 香川県 丸亀市

「塩飽勤番所」は人名統治の中心地。御朱印の保管箱や、咸臨丸の模型などが展示されていた。

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笠島のおばちゃんもそうだったけど、勤番所のおばちゃんはとてもいいひとで、「自転車こいでてめっちゃのど乾いたー!」などと喚いてたら、お茶でもてなしてくれた。ありがたや……ありがたや……。復元ではあるけれど歴史ある建物の畳で正座していただくお茶は、たまらんね。半時ほどのんびりしてのち、二人のおばちゃんに挨拶をして港へ帰った。

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桜の花の咲く季節が一番よいとのことなので、またくると約束したが、今年は3月4月が少し忙しくてすっぽかしてしまった。でも、いつかまたのんびりお茶でも飲みたい(← またねだる気か!)。