蝙蝠について
メディアの人間というのは“蝙蝠”のようなものだ。
アマチュアの人に対しては知ってあたかもプロの一員のように振る舞い、プロに対してはさもアマチュアです、教えてください、とモノをねだるネコのような態度をとる。なかには完全に開き直り、さもアマチュアの代表であるかのように装い、「あなたには情報を開示する義務がある、われわれの知る権利に応える義務がある」という者すらいる*1。卑怯なコウモリ - Wikipedia とは構図が違うけれど、都合のいい時だけ都合のいい態度を使い分けているという点では大して変わりはしない。
確かに、双方を媒介するためにはそうせざるを得ない部分もある。けれど最近、そういった宙ぶらりんなところが結構嫌になっている。そもそも自分はプロの会話に加わるにはモノを知らなさすぎる。業務として、プレッシャーを受けて学ぶのと、生半可な好奇心で学ぶのとはやはり得られるものが違う、というのを最近痛感させられる。人に教えるには、その10倍知らなきゃいけないという。けれど、自分は本当にみんなの10倍のことを知ってから伝えているのだろうか。“ソーシャル”にはもっと物知りで、ちゃんと情報を発信している人が掃いて捨てる人がいるじゃないか。
まぁ、そうやって自分で反省しているだけなら害はない。ダメなのは、自分が感じているこの危機感を共有できない仲間に対して、自分が牙をむこうとしてるところだ。なぜ知ろうとしないの? 知らないことを平気で書けるの? 恥ずかしくないのか? 死ねよ――みたいな。“蝙蝠”が“蝙蝠”にケンカを売ってるわけだ。滑稽、滑稽。そんな元気があるなら、黙々と勉強すればいいんだ。八つ当たり、空回り、斜め上にもほどがある。それができれば、こんなことにはならないんだけど!
というわけで、なにか大変なことをやらかさないうちに巣を離れるか、河岸を変えるか、という気分に最近はなっている。自分の年齢を倍にしたら、もう引退の歳。職を変えて、そこでプロフェッショナルになりたいと思うなら、そろそろタイムリミットなんじゃないかなぁ、と思う。できれば東京を離れて、どこかでちゃんと根っこを下して暮らしたいなぁ。
ただ、プログラミングはあくまでも趣味にしておきたいので、職業にするつもりはない*2。それ以外でなにか媒介者じゃないこと、なにか“直接的な”職業ができたらいい。なんぞないものか。