『文明の衝突と21世紀の日本』
『文明の衝突』を書いたサミュエル・P・ハンティントン氏の著作。ちょうど僕が高校生の頃に訳本が出て、一世を風靡したのを覚えている。なお、氏は2008年に亡くなっている。
僕もそのとき読んだのだけど、たぶん、その本当に意味するところはわかってなかったと思う。そもそも、冷戦構造というのは教科書の中のできごとで、ベルリンの壁崩壊もゴルバチョフの失脚も、すごいことだという感覚はあったけど、それはあくまでも教科書に載るべきことが今起こっているんだなという感じだった。
むしろ、自分にとってのリアルは、そのあと大学に入って映像で目の当たりにした 9・11テロ からその10年の世界だと思う。自由主義陣営 vs 共産主義陣営 だから戦うのではなく、それぞれの国が自分たちの尊厳・文化・宗教・経済的権益を守るために、戦争や紛争、テロが巻き起こるという世界だ。
たぶん、世界史的にもこれが常態であり、冷戦の構造はむしろ特殊なものだったのだろう。世界の各地に大きな権力があり、周りの国はそれと対決する(バランシング戦略)か、同盟を組んでその傘下に入るバンドワゴニング戦略(コバンザメ戦略)をとっていた。その結果、世界には幾つかの巨大権力(≒本書で言うところの_「文明」_)がいくつかあるのが普通だった。 *1
ただ、これまでの世界史と現代が一つ異なるのは、世界の裏側にまで軍隊を送れる超巨大国家・アメリカがいるということだ。なので、今の世界のあり方には、「文明の衝突」のほかにもう一つ、アメリカ vs 反アメリカ という図式もあるように思われる。
さて、それはともかく、日本のこと。
氏が指摘するには、日本の外交戦略は基本的に「世界最強国とのバンドワゴニング」。日英同盟然り、判断を誤ったもののドイツとの同盟然り *2 、戦後のアメリカとの関係然り。
しかし、アメリカ vs 反アメリカの図式に組み込まれないようにする、成長著しい中国との距離感を再考する必要がある、といった理由から、そろそろこの戦略の妥当性を見直すべき時に差し掛かっているのではないか。ただし、"現状維持バイアス"を打ち破るに足る理由が揃わなければ、中国との同盟やバランシング戦略への転換は難しい。
もう一つの論点は、日本だけが「文明=ひとつの国」であるということ。氏によると、通常「文明」は複数の国で形成されている。いわば日本は外交的に孤独な国だと言える *3 。これが解消できればよいのだろうが、それも難しい。
幸い東南アジアには「文明」がなく、日本が進出する余地があった。しかし、先の大戦では同化より侵略という下策をとり、逆に恨みを撒いてぶち壊してしまったし、そもそも今となってはすでに武力による「文明」の拡大が許された時代ではない。文化的共通点もない以上、経済的な結びつきを強調するか、文化的に圧倒してしまうか、「文明」の拡大そのものを諦めて孤独文明として活路を見出す *4 しかない。
どっちにしろ、政権と政党がこの体たらくでは、当分今の路線を踏襲するしかなく、尻に火がついてからワゴンの乗り換えを迫られることになるんだろうなと思うと、ちょっと鬱になる。