働くときは……
これはよく父が言っていたことなのだけど、働くときは時計を見て、誰に言われなくても自分で何をいつやるのか考えろ、それができなければ一人前ではない、のだそうだ。働くときは時計を見て働け自分がそう言われていたときは「なにを、五月蝿いな」と思っていたものなんだけれど、今ではいつの間にか、周りがそうできてないとイラッとくるようになった。まぁ、あまりよいことではないのだけど*1。
父が言いたかったのは多分、自分が投下したコストに対してセンシティブになれ、というコトなのだと今になって思う。どうせやるなら、工夫(≒Work)をしようよ。「なんにしろ何も考えず、とりあえずお給料分働けば十分じゃないか」というお説も至極尤もなのだけど、それはグダグダ働いて時間を浪費してよい理由になるわけじゃない。さっさと帰って遊んだり、勉強の一つでもした方がマシだ。社会はどんどん進歩していて、人間の「我慢=労働(Labor)」の価値なんかどんどん低下しているのに。
「我慢=労働」を軽視する態度は、一見仕事に対して不誠実であるかのように見えるけれど、頑張りを積み重ねてさえいれば評価されると思っている方がよっぽど社会をナメていると思うわけですよ。社会は、あなたの頑張りなんかどうでもいい。社会が欲するのは、頑張りの結果や創造性(≒差異)だけだ。つまり、Labor か Output、または Work であるということ。ポテトチップスを買うときに重要なのは、じゃがいも農家の苦労じゃなくて、内容量と均質的な味、それを生産する機械、そしてポテトチップスという商品企画そのものだ。過程なんかどうでもよくて、それを作ろうと思うこと、そして作った結果だけが問われる*2。
過程はどんどん洗練されていくので、結果の価値はどんどん下がる。だから、結果を Labor で得ていては、いつかジリ貧になる。Labor はパソコンだの、派遣社員だのにやらせればいい。逆もまたしかりで、そういう人は派遣社員にとどめておいて十分だし、パソコンで代替できるならそうしたほうがいい。なんなら機械にでもやらせればいいんだ。
そして、ヒトにしかできないこと(≒Work)をしようよ。