だるろぐ

明日できることは、今日しない。

働いたXを評価してほしいのならば、Yすればよい

働いた長さを評価してほしいのならば、長く残業すればよい。
働いた努力を評価してほしいのならば、眼に見えるような熱心さを魅せつけるのがよい。
働いた結果を評価してほしいのならば、誰もが目を見張る成果をあげればよい。

働くことに対する代償を評価してほしいのならば、自分の行なっている我慢をアピールすればよい。
働くことに目的があるのならば、本当の目的――自分の夢――を語り合おう。お金は二の次だ。
働くことが他の目的のついでならば、ドライに義務だけ取り決めて契約をかわせばいい。

それで労使の意見が食い違うなら、それはそれでしょうがないんじゃないの。会社を辞めるなり、会社の方針を変えさせるしかない。

残業して欲しい人に自分の仕事の密度をアピールしてもしょうがないし、結果が求められているのに空回りな熱心さ、中身のない残業に執着するのも馬鹿らしい。法律でどれかの生き方にフォーカスして制度を決めるのも愚の骨頂だ。それぞれに、それぞれの生き方がある。

しかし、どうもすれ違いが多い。お互いに「~であるべきだ」ってね。