だるろぐ

明日できることは、今日しない。

時には昔の話を

中学のころから自分の夢を思い描いて、それに向かって脇目もふらず驀進する人っているじゃない?

若いころは、アレを見るのがイヤだった。(中学のころの)自分はなににでもなれる“可能性”がある。なのに、なぜ中学生が六法全書を読んで気取ってみたり、医者になりたいからといってシャカリキに勉強する必要がある? アホらしいではないか。もっと“今しかできないこと”を愉しめばいいのに。空気の読めないヤツめ。

そんな斜に構えた考え方をしていたので、進路を決めるべき時が来ると途端に困ってしまった。自分にはやりたいことなんかない。

強いて言えば、そのころは漠然と「外交官になりたいなぁ」と思っていた。日本に足りないのは外交力だと*1、青二才ながら常々考えていたし、多少なりともそれに関する本でも読むかと思って手に取ったヘンリー・キッシンジャーの『外交』が意外に面白かったから。

外交〈上〉

外交〈上〉

けれど、外交官試験がなくなるとアッサリとそれも諦めた。興味もない省庁に配属されたらたまらんと、試験に通る前から思っていたわけで、若いころの自分がどれだけ誇大妄想かなのかがこれでも知れる。そんな心構えで大学を受験したので、センター試験に失敗したこともあり、一年目はアッサリと失敗した。

浪人中はまったく勉強しなかった。本当に勉強しなかった。

高校時代の成績はそこそこよかったので、代ゼミだと予備校がタダだった*2。けれど、模試は1回しか受けず、残りの模試代*3や夏期講習代*4をポッケにナイナイして日本橋のゲームセンターで遊びまわっていた。

もう一つハマったのはプログラミングだった。開発環境は「Delphi 4」で、これまた開発するのも楽しいし、ライブラリの仕組みを知るのも楽しい。世の中のサンプルコードの大半は C++ で書かれていたので、じきに C++ の初歩も理解するようになった*5。このことは、大学に入って BeOS を知った時に大いに役立った。もちろん今の仕事も当時の知識で大いに助かっているし、世界の把握にも役立っている。その話はまた別の機会にしたい。

あと、動物行動学の本を読むのも好きになっていた。キッカケは、『そんなバカな!―遺伝子と神について (文春文庫)』だったと思う。そこからドーキンスとかアクセルロッドの本を片っ端から読んでるウチに、「あぁ、理系だったらそういう勉強したかったなぁ」と思うようになっていた*6

そんなバカな!―遺伝子と神について (文春文庫)

そんなバカな!―遺伝子と神について (文春文庫)

つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー)

つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー)

そうこうするうちに、2回目の受験の季節が来て、志望校を決めなければならなくなった。

僕は何となく、法学部ではなく、経済学部と書いていた。自分でもなぜだかよくわからない。けれど、経済学部が一番自分のやりたいことに近いように感じた。一部の人からは「あいつは難易度を下げた」と言われたけれど、確かにそうかもしれない。でも、法学部は違うと思った。組織とはどうあるべきかよりも、組織とはどういうものなのかというものが知りたかったし、どうすれば組織がながく保たれるのかというのを知りたかった。それはたぶん、法律で決まることじゃないし、決められることじゃない。みんながそうありたいという願いの流れが決めるのだと思う。

2回目の受験は、奇跡が炸裂して志望した大学に転がり込むことができた。

試験の結果は、一人で見に行った。最初に見た掲示板には自分の番号がなく、目の前が真っ暗になってブルブルしたけれど、試験の手応えば十分にあったので*7、大学の門を出るところで踵を返し、もう一度見に行った*8。すると、どうやら法学部の結果と見間違えていたらしく*9、経済学部のほうの掲示にはちゃんと自分の番号があった。そのあとは、寒い中公衆電話に並び、家に電話をかけたことをかけたことだけ覚えている。

今思えば、その時には父の事業はかなり苦境に追い込まれていたのだけど、そんなことも知らない僕は当然のように入学金と授業料をもらい、喜び勇んで入学手続きを済ませた。ついでに、よく考えもせず、その手続き窓口の外にいたマルクスの輪読会のようなサークルに入った*10。モテない大学生が、また一人生産されたわけだ。

資本論 1 第1巻 第1分冊

資本論 1 第1巻 第1分冊

経済学部での講義はどれも面白かったけれど、すべてが自分の感性に合ったものというわけではなかった。むしろ、動物行動学やマルクス経済学からみたら無味乾燥な感じを受けた。経済学って、もっとヌメヌメしているはずだったんじゃないかなぁ。

なかでも一番我慢ならなかったのは、“教科書的”な、要はミクロ・マクロ経済学だった。あれは、一度ウソの前提を信じなければマスターできない。マルクス経済学の場合は前提からして明白に間違っているから、学ぶにも「歴史的な教養」として受け入れることができた。けれど、近代経済学はそうもいかない。議論のリングに上るところで嫌悪を抱いているのだから、落ちこぼれるのは目に見えているよね。

そんな僕にとってはサークルのほうが肌にあっていたみたいで、そこで好きな本を読んで暮らしていた。その頃のお気に入りは、ハイエク。こいつはヌメヌメしていて大変よろしい。大学のゼミは、僕のことをよく知ってくれているサークルの先輩に、進化経済学のD先生を紹介してもらった。そこでまた、アクセルロッドに出会うことになろうとは。そこで得たヌメヌメした知識は、このブログでたまに書いている“贈与”と“交換”の話の基礎になっている。

The Complexity of Cooperation: Agent-Based Models of Competition and Collaboration (Princeton Studies in Complexity)

The Complexity of Cooperation: Agent-Based Models of Competition and Collaboration (Princeton Studies in Complexity)

けれど、結局、そのゼミには2回生の間の一年しかいられなかった。というのも、教官がほかの大学に移られたからだ。今思えば転学してでもついていけばよかったなと思うけれど、当時の自分はアホだったのでそんなことも思いつかず、残された手紙を読んで納得してしまった。本当に惜しいことをしたと思う。

そのあとは、またやりたいことがわかんなくなって、ほとんどひきこもりのような生活を送っていたところ、父の事業が思わしくなくなり、とある事件をきっかけに大学を辞めてそれを継ぐことにした。そこで学んだこともとっても貴重だったのだけど、それはまた別の機会に話したい。

いろいろあって(じいちゃんが亡くなった - だるろぐ)、一人でお酒飲んでたらこんなことが書きたくなった。自分が自分でいられる時間っていうのは、そんなに長くないかもしれない。だから、たまには昔のことも思い出して、今の自分の位置を確かめておきたい。

*1:今思うに、日本に足りないのは軍事力であり、もっと言えば憲法と外交方針だ

*2:確か駿台と河合塾は75%免除とかだったと思う

*3:これは別料金

*4:これも別料金

*5:C# に飛びつく理由、わかるでしょ?

*6:このときはまだ進化経済学のゼミに入ってアクセルロッドの勉強をするとは思ってもいなかった

*7:みんなが解けないといっていた整数問題を閃きで2行で解いたので。文系学生にとって数学は部分点勝負なのに、まるごと一問ゲットしたんだぜ?

*8:見に戻らなかったらどうなったんだろう……

*9:だって試験を受けた会場の裏に掲示した会ったんだもん!

*10:このサークルで、僕はポパー、E・O・ウィルソン、ロールズ、ノージック、センなどの業績を学んだ