理念のない政治家を責める前に
理念のない有権者自身をまず責めるべきだと思う。
なぜ理念のない政治家――政治屋はパンツをはきかえるかのように意見をころころ変えたり、その場限りの威勢のいいことを言うのか。――それは、その場その場で意見をころころと変える「無党派層」がたくさんいて、その票を目当てにしているから。無党派がかっこいいだなんて風潮、いつから芽生えたんだろう。政治屋のカモになっているだけなのに。
確かに「自分たちの意見を代弁する政治家がいないから仕方なく無党派層なんだよ!」という人もいるので、ある意味「鶏が先か、卵が先か」になっているところはある。でも、そんな人たちが政治屋を責めても仕方ないと思うよ。所詮、同じ穴の狢なんだから。政党や政治家の理念が自分にピッタリあうことはまずないけれど、最悪、立候補することもできるんだしね*2。政治家はすぐには変えられないけれど、有権者はいつだって変ろうと思えば変われるはずだ。有権者が変われば、政治家なんかころっと変えられる……はず。
まぁでも日本の場合、マスコミが率先して「無党派」を気取っているからな。で、自分の気に入らないところを切り取ってバッシングしてるし、有権者もそれを真に受けてバッシングしている。みんな、自分たちがバッシングされる側に回らないよう、バッシングする側に回れるよう、周りを気にしてばかりいる*3。そういう組織と人間が、いじめ問題を憂えている(ふりをしている)のだからちょっと笑える。構図は大して変わらないよね*4。
ほかの国だと、メディアはどの大統領候補・政党を支持するか明確に立場を表明するよね。もちろん、反対勢力からはバッシングされるし、支持候補のダメなところもやっぱりちゃんと指摘しなきゃいけないので、下手すりゃ身内からもバッシングされる。でも、ちゃんとやるわけだ。それが“メディア”だから。なんで日本のメディアはそういう風にならないんだろう、って思う。
結局マスコミが悪いということになりました。