ハウとウトゥ、贈与負債の管理。
私はあなたにハウについて語ろう。
ハウは吹きわたる風ではない。全くそんなものではない。
仮にあなたがあるタオンガ(贈り物)を持っていて、これを私に与えるとしよう。あなたはそれに価格をつけないで、それを私に与えるのである。このことに関して我々二人は値段交渉をしない。
私はこの物を第三の人物に与えると、彼は一定の時間をおいて、ウトゥとして何かを返そうとするし、彼は私に何かのタオンガを与える。
ところで彼が私に与えるこのタオンガは、私があなたから受け取って、私が彼に与えたところのタオンガのハウである。私がこれらのタオンガの代わりに受け取ったタオンガを、私はあなたに返さなくてはならない。これらのタオンガが気に入るものであれ、気に入らないものであれ、私が自分のためにこれらのタオンガを手元にとどめることは正しいことではない。私はこれらをあなたに与えなくてはならない。なぜならばそれらは、あなたたが私に与えたタオンガのハウ(霊的な返済義務、呪い)であるからだ。
もし私が第二のタオンガを自分のために保存するならば、私に何か大変なことが起こるだろうし、死ぬことすらあるだろう。
このようなことがハウであり、個人所有のハウ、タオンガのハウ、森のハウである。
ハウについては、これで十分であろう。
M.モース『社会学と人類学』より、マオリ族の賢者タマティ・ラナイピリ
ちょっと不思議な感じがするこの話が、僕は大好きだ*1*2。ハウとウトゥ。これはおそらく、日本風にいえば「恩」だの「義理」だのにあたるのだろう。恩を返さなければいつか天罰が下るし、義理を欠けばそれは自分に返ってくる。ハウとウトゥは、それをもう少しスピリチュアルに表現したものと言える。
これは、相互贈与における負債を、贈与世界の人々がどのように管理していたのかを物語る。
なにかをもらったら(負債)、いつかそれを何らかの形で返さなければならない(返済)。その規範(ハウ、義理)が守られる限り、最初の贈与(タオンガ、恩)は、カタチを変えながら、時を超えて、コミュニティのなかに保存される(一般的な贈与循環について - だるろぐ)。ハウ・ウトゥといった霊的制裁の物語や、義理・人情といった倫理によって管理され、維持される。
そして、その時大事なのが「このことに関して我々二人は値段交渉をしない」ということ。
ハウや義理が計量化されてしまうと、それは貨幣になってしまう。味気なくなってしまう。世知辛くなってしまう。無粋になってしまう。相手との交流そのものを目的とするのではなく、単なる手段にしてしまう。関係を計量化しないこと、それは小さな世界の中で・濃密な時間を・長くともにするための知恵なのだ。
- 作者: マルセルモース,Marcel Mauss,吉田禎吾,江川純一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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今後の課題
- 贈与負債のアンバランスと権力の発生
- 自然および英雄への負債、神話・宗教