だるろぐ

明日できることは、今日しない。

カミルス最後の仕事

カミルスの時代、ローマ人は2人の執政官を選ぶ制度を廃し、6人のトリブヌス・ミリトゥム(軍団<レギオ>の代表、軍司令官≒選挙区の代表)を選出する制度をとっていた。しかし貴族派と平民派間の闘争と混乱は収まらず、蛮族にローマ市街への侵攻を許す事態にまで至る。そこで、しばしば1人の独裁官を任命するといった本末転倒な手段に出て、事態の収集に当たらざるを得ないことも少なくなかった。

カミルスは5度も独裁官に選出され、ローマから蛮族を撃退するなど4度の凱旋式を行い、「第2のローマ建国者」とまで称されたが、結局1度も執政官となることはなかった。

元老院では相反する意見が激しく対立したが、結局は民衆に譲歩して、2人の執政官のうち1人を民衆から選ぶという穏健な意見が勝ちを占めた。これを元老院の決議として独裁官が民会で宣言すると、当然ながら人々は喜んで元老院と和解し、喝采して歓呼の声を上げながら、カミルスを屋敷まで送った。

翌日人々は集まって、カミルスが(以前)祈りの中で誓ったとおり、融和<コンコルディア>の神に神殿を奉献すること、そして今回のできごとを記念して神殿は広場と集会場に面して立てられること、ならびにラティナエという祭礼に1日を加え4日間とすること、そして直ちに生贄を捧げてすべてのローマ人が花冠を戴くことを決議した。

そして、カミルスの管理のもとで投票が行われ、貴族からはマルクス・アエミリウス、平民からははじめてルキウス・セクストゥスが執政官に任命された。

これがカミルス最後の仕事となった。

ヌマはテルミヌスフィデスの神殿を建てた(所有権と契約、信義則を確立した)が、カミルスはコンコルディアの神殿を建てた。さらにそれを推し進めて、カエサルクレメンティア(他者への寛容)の神殿を建てることになる。この3人は、いわばローマが世界帝国へと成長するにあたり、その道を指し示したと言えると思う。