純粋理性批判の復習(2)
[『純粋理性批判』 の復習](http://blog.daruyanagi.net/archives/382) の続き。本の中で言えば、それよりも前の話になるけど。
カントに言わせると、総合と分析、事前(ア・プリオリ)と事後(ア・ポステリオリ)で僕らが行なっている判断を分類できる。
ア・プリオリ(経験ナシに) | ア・ポステリオリ(経験に基づいて) | |
分析 | ア・プリオリな分析判 | |
(論理的真理) | (分析に経験は関係ない) | |
総合 | ア・プリオリ総合判断 | ア・ポステリオリな総合判断 |
(形而上学。認識の拡張!) | (日常的な判断、自然科学) |
ア・プリオリな認識は、経験の助けなしに行う普遍的な判断。
ア・ポステリオリな認識は、経験に基づく判断。
分析判断は、言い換えれば純粋・記号的な「論理」に基づいた判断ということになるのかな。限られた今もっている道具を組み合わせるだけ、主語に含まれた述語を取り出すだけ。なので厳密だけど、認識に対して何ら新しいものを付け加えない。分析判断は本来的にア・プリオリ(経験ナシに)であり、経験に基づく分析判断というのはありえない。
総合判断は、分析的ではない判断で、複数の概念を組み合わせて行われる。一般的にア・ポステリオリな判断であり、表で言えば右下に位置する。
カントまでの理性主義者は左上のマスを、経験主義者は右下のマスを重視しすぎたといえるかな。
しかし、カントによると、そのどちらでもない左下のア・プリオリな総合判断ってのがあって、それが哲学にとって大事なんだという。